石原慎太郎 2011年4月
![青年期の立ち姿](img1/ishihara1.jpg)
![三島由紀夫と二人](img1/ishihara2.jpg)
画像は青年時代、右画像の手前は三島由紀夫。
弟は昭和の大スター。本人も弟に勝るとも劣らない華麗な人生だ。
そもそも弟にスターへのチャンスを与えたのも兄だった。
弟は映画各社のオーディションを受けていたが全敗していた。
一方兄は若くしていきなり芥川賞受賞という鮮烈な文壇デビューを果たす。
同作が映画化されるにあたって兄は、映画会社に弟の起用を条件にした。
弟の起用は大成功、兄弟揃っての華麗な成功物語が始まる。
兄の活躍は作家業に留まらず、自民党参院議員として政界にも進出。
当時の同党若手議員たちと血判状を作成して青嵐会を立ち上げる。
渡辺美智雄、中川一郎、ハマコーといった派手な顔ぶれだった。
彼らはその後同党の有力政治家として活躍する。
首相こそ出なかったが、それぞれ強い個性で存在感示した。
それも今は昔、多くはすでに故人、今も現役なのは石原氏ただ一人。
初の都知事選や自民党総裁選で敗北の経験もした。
だが存在感を失うことはなく、早世の弟同様人気は衰えない。
首相への期待が圧倒的に高い政治家となる。
だが政界に幻滅して一度引退。
しかしその後都知事候補として復帰当選、三期目の今に至る。
三度目の選挙は少し苦戦したが、二度目は史上最高得票数を誇る。
三期限りで引退の意向だったが、土壇場で翻意、四度目を狙う。
翻意の背景には多くの人々の熱烈な支持がある。
若い他の候補者に比して、ひときわ高齢。
だが存在感では他を圧倒している。他の人が小粒に見えてしまう。
最もダンディーでもある。
氏も小粒すぎてまかせられないと、翻意の理由を語る。
三島由紀夫とも時代は重なり、共に時代の寵児として接点もある。
上の画像から分かるように対談もしている。
そのとき思想的な対立から、三島が明言した。
「もし君がそうするならば、私は君を殺すだろう。」
石原は受け流したが、議論に火花が散っていた。
三島にとっても印象深かったようで、後に述懐している。
「これまでの人生で希有な魂のぶつかり合いだった。」
文学という芸術の世界。政治という現実の世界。
両方で成功するというのは男子の人生としてこれ以上ない。
華麗な人生はまだまだ続く?。下の画像は近影。
![顔アップの近影](img1/ishihara3.jpg)