桐生9秒台の意味 9/11
日本選手がついに9秒台突入。
明るいニュースとして大きく報道された。
なぜこれほど大きく扱われるのか。
同競技の特徴は身体能力の追求。
技術を追求する多くの競技と本質的に違う。
力の差は身体能力の差そのもの。
だから身体能力の高い黒人の独壇場となる。
つまり人種民族の身体能力の指標、証明。
100m10秒台はその象徴。
黒人が初めて突破して約半世紀後に到達。
身体の差が縮まって少し自信持てる?。
多くの日本人が歓喜する要因だろう。
今年の桐生選手は世界陸上落選など成績今一つ。
今回も9秒台を予想した人は少ないだろう。
事実万全な状態ではなかった。
本人も記録は考えず、勝つことに集中。
結果的にのびのびと走れた。
これは本編の姿勢の構造6に通ずる。
期待が大きいほど記録は出にくい。
だから五輪で世界記録が出ることは少ない。
彼も9秒台期待され続け苦しんできたはずだ。
今回は万全でないから気負わず力まず走れた。
楽な気持ちが余裕となり、集中力は逆に高まる。
諸々の条件が重なり、突破口が開いた。
100mでも終始全力疾走はできない。
全力部分は距離20〜30m、時間2〜3秒。
普通は50〜80m間が全力疾走、最高速となる。
それが人間の限界。
それでもリミット以内、でないと体が持たない。
精神的なゆとりは集中力を高める。
気持ちは気負わず、体は力まず、が極意。
逆になると動きは固くなり、怪我しやすい。
これはあらゆることに通ずる。